過去の自分を責めたくなる日に、
そっと渡したい10の問い
過去のことを思い出すと、胸の真ん中がきゅっと痛くなる夜があります。
あの時ああしていれば。あの言葉を言わなければ。あの選択さえしなければ。——そういう声は、たいてい夜中に大きくなります。誰のせいでもないところまで、自分のせいにしてしまう力を、人間の頭はわりと簡単に発揮してしまいます。
ここに並べる10の問いは、過去の自分を裁くための問いではありません。過去を清算するための問いでも、過去をなかったことにするための問いでもありません。過去の自分から、こちら側で一度だけ距離を取る——それだけのための問いです。
イーサン・クロスの『Chatter』という本に、頭の中の声と距離を取る技法のひとつとして「時間軸を動かす」というやり方が紹介されています。今この瞬間に立ったまま過去を見ると、当事者の熱がそのまま残っていて景色が歪みます。3年前、10年前、あるいは10年後から、いったん視点を借りてくる。それだけで、同じ過去がまったく違う表情に見えてくる、という話です。
過去の問いは、扱いを少し丁寧にしてください。今日のあなたの体調が重い日は、これを読まずに閉じてもらって構いません。そういう日のための記事ではないので、後日改めて開いていただければと思います。
問い1
3年前の自分に会えたら、最初に言いたい一言は?
最初の問いは、軽めに置きます。3年というのは、絶妙な距離です。覚えているけれど、もう少し他人になっている。叱りたいか、ねぎらいたいか、ただ笑って肩を叩きたいか。一言だけです、長く語る必要はありません。
声をかけられないようなら、それも今日の状態です。3年前の自分に今日はかける言葉がない、というだけのことで、また別の日に思い浮かぶことがあります。
以前、接客業の管理職研修で「3年前の自分に何を言いたいですか?」と尋ねたことがあります。一人の方が少し笑って、「『大丈夫だよ』って、そっと肩に手を置きたい」と話されました。会場が、その瞬間少しほどけたのを覚えています。3年前を裁く言葉は、出てこないのが普通なのかもしれません。
問い2
あの時の自分は、知っている範囲で一番いい選択をしていた——そう言える?
これは、過去の問いの中でいちばん大事な一つかもしれません。
過去の自分は、今のあなたが持っている情報を持っていませんでした。今だから「あれは間違いだった」と分かることも、その時のその人にとっては、その時に持っていた手札の中での最善だった——その可能性を、一度だけ置いてみる。「絶対そうだ」と言い切る必要はありません。「そう言えるかもしれない」程度で十分です。
問い3
10年前の自分が、今の自分を見たら驚くのはどこ?
ここで時間軸をぐっと広げます。10年前の自分は、今のあなたの今日を全部知ったら、たぶんいくつか目を丸くします。続けていることに驚くかもしれないし、辞めていることに驚くかもしれない。驚かれる場所は、自分でも気づきにくい変化の証拠です。
良い変化か悪い変化かは、ジャッジしないでください。ただ「変わったな」と、10年前の自分の視点で見ておくだけです。
ここまで読まれて、もしかしたら胸のあたりが少し詰まっている方もいらっしゃるかもしれません。
過去の問いは、後悔の引き出しを開けに行く作業に近いところがあります。重く感じるのは、自然な反応です。重くなったら、ページを閉じてください。続きはまた別の日に読めばいい——本当にそれだけのことで、無理して全問読んでくださる必要はまったくありません。
過去の話は、答えを出すための問いではなく、今の自分から少し距離を取って眺めるための問いだと思ってください。
問い4
過去の自分を責めている声は、本当に自分の声? それとも誰かの声だった?
過去の自分を責める言葉を、いったん文字にしてみると、不思議とそれが「自分の声」ではなく「誰かに昔言われた言葉」だったり「世間で何度も聞いた台詞」だったりすることがあります。
声の出どころを確認するだけです。誰の声だったかを特定する必要はありません。自分の声以外の声が、自分の声に化けて鳴っている可能性がある——その事実だけ、ぼんやり置いておく。
IT業界の管理職研修で「自分にいちばん厳しい言葉をかけているのは誰ですか?」と尋ねたことがあります。一人の方が長く考えて、「親かもしれません。でも、たぶん親はもうそんなこと忘れてます」と話されました。自分を責めている声の持ち主は、もう本人の中にしかいないということが、よくあります。
問い5
昔の自分がくれたもので、今も自分を助けているものがある。
問いではなく、置いておく一文です。
過去の自分は、こちらが思っている以上にいろいろなものを今に運んでくれています。あの時始めた習慣、あの時続けた仕事、あの時手放したくなかった人間関係、あの時無理して読んだ一冊の本。過去を責めている時、こちら側のものだけは見えにくくなります。今を支えているものを一つだけ思い出してみる、という作業です。
何も思い浮かばなければ、それも今日の答えです。
問い6
失敗した自分に、今ならかけてあげられる言葉がある。
これも問いではなく、置いておく一文です。
具体的にどの失敗かは、思い出さなくていいです。思い出すと痛むものは、無理に思い出さない。ただ、過去の自分の失敗の数々に、今ならどんな言葉をかけられるかな、という方向に少しだけ目を向けてみる。叱る言葉は、もう過去の自分は十分にもらってきています。叱る以外の言葉が、今のあなたの中にあるかどうか、というだけの確認です。
問い7
若い頃の自分が手放したかったものは、今どこにある?
若い頃に「これさえなくなれば」と思っていたものが、今は意外と自分の手元から消えていたり、形を変えて残っていたりします。
完全に消えていたら、いつ消えたかを覚えていますか? まだ残っていたら、若い頃ほど重く感じていますか、軽く感じていますか? 手放せたかどうかではなく、今どこにあるかを見るだけです。手放したかったものが、まだ手元にあるとしても、責めなくて大丈夫です。
問い8
あの選択をしなかったら、今の自分はここにいない——そう思える決断がある。
問いではなく、置いておく一文です。
良い選択でも悪い選択でも構いません。あの分岐がなかったら、今のこの場所にいなかった、と言える決断が一つだけある。それは正解だったかどうかとは別の話です。「ここにいる」という事実は、過去のいくつもの選択の集合体だ、ということを、ただ思い出しておく作業です。
人生に「もしも」は無限にありますが、「現にここにいる」という事実は一つしかありません。
問い9
過去の自分に、謝るより先にお礼を言いたいことがある。
過去の自分への手紙は、たいてい謝罪文から書き始めてしまいがちです。「あの時はごめん」「あの時こうしてあげればよかった」。
その順番をひっくり返してみる、という作業です。謝るより先に、お礼を言うとしたら何を? 続けてくれてありがとう、辞めてくれてありがとう、生きていてくれてありがとう、なんでも構いません。順番を変えるだけで、過去との関係の温度が少し変わることがあります。
問い10
昔の自分が今日の自分を見たら、ほっとする。
最後の問いは、問いではなく置いておく一文です。
「ほっとするだろうか?」と聞いてしまうと、すぐに「いや、がっかりするかも」という声が割り込んできます。だから、置きます。ほっとする部分が、ぜったいに一つはある——それを信じる、というよりは、そう仮に置いてみる、というくらいのつもりで。
具体的にどこにほっとするかは、思い浮かんでも、浮かばなくても構いません。仮に置けたという事実だけで、今日のこの問いは役目を終えています。
10の問いを並べました。ぜんぶに答えていただく必要はまったくありません。むしろ、ぜんぶに答えてしまう日は、たぶん少し力が入りすぎています。
過去の問いは、過去を変えるための問いではありません。過去を許すための問いでもありません。過去から、こちら側で一度だけ距離を取るための問いです。距離が取れたあと、過去をどう扱うかは、また別の日のあなたが決めればよいことだと思います。
気になった問いだけ、手帳の端に書き留めてみてください。
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